高木守道さん死去!ミスタードラゴンズと呼ばれた中日の元監督

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こんばんは、マナウサです

本日2020年1月17日、野球界の名監督がお亡くなりになりました。

中日ドラゴンズの名二塁手として活躍し、その後ドラゴンズの監督に就任し2代目となる『ミスタードラゴンズ』の名称で呼ばれた高木守道さん。

急性心不全のため名古屋市内で死去しました。

享年78歳 葬儀は家族葬で営まれたそうです。

高木守道、元監督がどのような方だったのか紹介します。

 

幼少時代

愛知県名古屋市生まれ。

高校時代、後の巨人名誉監督となる長嶋茂雄さんにその才能を認められ、甲子園で輝かしい成績を残し、地元愛知県の中日からオファーがきて、プロに入団。

 

選手時代

1965年にプロ野球史上、初となる『初打席初本塁打を記録した通算200本塁打、通算2000安打』を達成。

また、通算で200本塁打・200犠打を併せて記録した選手も初だった。

1975年に日本プロ野球史上11人目となる通算2000本安打を達成。

1980年に現役を引退。1年先にプロ入りをした王貞治さんと共に引退セレモニーが行われた。

 

監督時代

1986年に代理監督、1987年より正式に中日監督に就任する。

1995年までの8年間、監督として奮闘するも成績不振の為に監督を解任される。

(監督を務めた最後の試合となる対阪神タイガース戦で、審判への暴行により退場処分を受ける。

 

引退後

中日新聞の野球評論家となり、2007年からOB会の会長も務めた。

 

監督復帰

2012年より監督として再就任する。

その年は2位でクライマックスシリーズに出場するも、ファイナルシリーズで巨人に敗退。

2013年に成績不振の責任をとり、監督を退任を発表。

 

まとめ

野球雑誌やTV番組などの『プロ野球選手歴代ベストナイン』等の企画でプロ野球史上最高の二塁手として名前が挙がる事もあった。

高木は二塁手として2179試合・11477守備機会・5327刺殺・5866補殺・284失策・1373併殺という通算守備記録を残し、この結果は二塁手としてプロ野球歴代1位です。

他のポジションを含めると補殺数は5917になり、これはNPB歴代最高記録です。

名選手であり、名監督。

まさに『ミスタードラゴンズ』の名に相応しい方でした。

お悔やみ申し上げます。

 

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