こんばんは、マナウサです。
2020年2月22日、『K-1グランプリ』の初代王者、『ブランコ・シカティック』が亡くなっていたというニュースが流れました。
今回はシカティックがどんな経歴だったのか、師弟関係だったミルコ・クロコップとの関係などについてまとめてみました!
シカティックの経歴や主な戦歴は?
『ブランコ・シカティック』は、クロアチアのスプリット出身のK-1ファイターです。
生年月日:1954年10月4日
身 長 :189cm
体 重 :98kg
総合戦績:戦績は150勝15敗2分け、138KO
1993年4月30日、『K-1 GRAND PRIX』に参戦し、初代チャンピオンとなる。
1994年12月10日、クロアチア紛争に参加する為、『K-1 LEGEND 乱』で引退を表明。
この時の試合相手は『アーネスト・ホースト』で、試合は見事なKO勝ち!
シカティック本人が、自身のベストバウトとして、この試合を挙げています。
1997年3月16日、『K-1 KINGS ’97』で現役復帰し、『武蔵』にKO勝ち。
同年7月20日、『K-1 DREAM ’97』で『サム・グレコ』と戦い、生涯初のKO負けとなる。
その後、総合格闘技『PRIDE』に活躍の場を求めて参戦するも、グラウンド・タックル・関節技など、立ち技や打撃中心の『K-1』とは異なる戦いに苦戦し、活躍できず。
2005年7月18日、『WORLD OYAZI BATTLE -SAMURAI RETURN!』で『金山裕文』と対戦し、判定によるドローとなり、その試合を最後にリングを降り引退。
引退後は、所属していたオランダにある『ドージョー・チャクリキ』を離れ、母国クロアチアにジムを作り、多数の選手を育てる。
その中には、後にK-1 WORLD GPヘビー級王者となる『アントニオ・プラチバット』や、PRIDE無差別級王者、RIZIN無差別級王者、K-1 WORLD GP王者となる『ミルコ・クロコップ』もいた。
その後、ジム運営の資金の為に、警備会社『タイガー・シカティック』を立ち上げ、代表取締役として、クロアチアの要人(大統領や大臣など)の警護を業務とする会社を経営する。
また、日本クロアチア協会の常任理事も務める。
その一方で、『M-1』という格闘技イベントを主催しており、自ら試合にも出場。
2018年に肺塞栓症と敗血症のため入院し、その後パーキンソン病も発症。
その後も症状は悪化し、募金活動がクロアチアの有志たちによって開始される。
2020年3月22日に自宅で死去。 65歳没。
シカティックの獲得したタイトルは?
アマチュア
第3回WAKO欧州選手権大会 フルコンタクト部門 男子79kg未満級 優勝(1978年)
第2回WAKO世界選手権大会 フルコンタクト部門 男子74kg未満級 3位(1979年)
第4回WAKO欧州選手権大会 キックボクシング部門 男子79kg未満級 優勝(1980年)
第5回WAKO欧州選手権大会 フルコンタクト部門 男子79kg未満級 優勝(1981年)
プロ
・IKBF世界ヘビー級王座
・WKA世界王座
・K-1 GRAND PRIX ’93 優勝
シカティックのファイトスタイルは?
『伝説の拳』『石の拳』と言われるハードパンチャーで、驚異のKO率を誇りました。
『スイング』(半月軌道の大振りフック)を得意技とし、実際に多数のフィニッシュ・ブローとなりました。
また、右ストレート、カウンター気味の左ショートフックも得意で、パンチ力だけでなくバリエーションも豊富な強ファイターでした。
3round制でも5round制でも勝負所では守りに入る事はなく、必ず自らプレッシャーをかけて倒しに行きました。
この攻めは勢いが凄く、『佐竹雅明』『アーネスト・ホースト』『チャンプア・ゲッソンリット』『アンドレ・マナート』『カール・トンプソン』といった強豪相手も軒並みKOで倒しました。
ミルコ・クロコップとの関係は?
『ミルコ・クロコップ』を育てた師弟関係であり、当時 生徒だったミルコを日本に連れて来て、K-1に参加できるように尽力し、実現させたのがシカティックでした。
しかし、その後 壮絶な喧嘩の末に仲違いをしました。
仲違いのきっかけは、ミルコがいたジムの運営資金作りの為に立ち上げた警備会社『タイガー・シカティック』です。
ジムは好調でしたが、それ以上に警備会社の運営が大繁盛しました。
その盛況ぶりを見たミルコも同じような会社を作り、同業ライバルとなったシカティックに対して様々な嫌がらせをし始めた。
その結果、シカティックは濡れ衣で3度も逮捕されることになり、ミルコが雇ったマフィアのような人間に襲撃されそうになったこともあるそうです。
一方、ミルコはこの件に関しては完全にノーコメントです。
シカティックの経歴は?K-1王者の戦歴やミルコとの確執とは?まとめ
私は最近のK-1よりも、過去の方が名選手が多くて好きでした。
もちろん、武尊選手は好きですけどね(笑)
那須川天心さんとの試合、いつか実現すると良いな~と思っています。
今回のように、歴史を築いてきた名選手が亡くなるのは本当に辛いですね。
ご冥福をお祈りします。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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