伊賀崎俊は聴覚障害のサッカー日本代表?経歴wikiプロフ【仰天ニュース】

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こんばんは、マナウサです。

2020年11月3日(火)  21時00分~ 『ザ!世界仰天ニュース』にて、聴覚障害(難聴)をもつ、当時大学生だった『伊賀崎俊』さんが、人命救助したエピソードが紹介されます!

ホームに転落 その時大学生は?
2003年9月、大学生の伊賀崎さんは終電ギリギリに駅に着いた。そして彼の横を男性がふらつきながら歩いていた。次の瞬間、男性が線路に転落!しかしすぐに動くことができなかった。周りの人も動けないでいた中、この人を救いたい…その一心で勇敢な行動に出た!
ザ!世界仰天ニュース公式HPより引用
今回はそんな『伊賀崎俊』さんの経歴プロフィールや、人命救助のエピソード、現在の活動内容について調べました!

伊賀崎俊の経歴wikiプロフィール

プロフィール

名 前:伊賀崎 俊(いがさき しゅん)
生年月日:1981年6月12日
年 齢:39歳 (2020年10月現在)
出身地:京都府八幡市 (その後、小学校に上がる前に千葉県印西市に転居)
家 族:3人の子供の次男として生まれる
障 害感音性難聴聴覚障害で最も重い2級
趣 味:サッカー(小学校1年より始める)
仕 事:外資系証券会社勤務

経歴

  • 生後8カ月で感音性難聴と判定される。
  • その後、筑波大学附属ろう学校で読唇術を習得。
  • 1996年、16歳の時に高校の英国研修で約3週間のホームステイを経験する。
  • 2001年、災害救援ボランティア推進委員会のセーフティリーダー認定証を取得。
  • 2003年、人命救助で北総開発鉄道より表彰される。
  • 2006年、日本ろう者サッカー日本代表に初選出。
  • 2007年、人生初の海外一人旅としてオセアニアのツバルへ行く。(その後、体験談の書籍を発売)
  • 2009年、デフリンピック(聴覚障害者のオリンピック) サッカー日本代表
  • 2011年、自転車(ママチャリ)の旅で自宅(千葉県)~仙台駅まで2日間350km走破
  • バルドラール浦安デフィオのキャプテンとして活躍
  • 2015年、デフフットサル(聴覚障害者のフットサル) W杯日本代表副主将
  • 2016年、一般社団法人レプロ東京代表理事 兼 監督に就任

伊賀崎俊の人命救助エピソード

 

 激しかった雷雨は小雨に変わっていた。家庭教師のアルバイトからの帰り、大学生の伊賀崎俊(22)は、 千葉県と都心を結ぶ私鉄・北総線新鎌ヶ谷駅のホームにいた。2003年9月4日午前零時20分。5分前に着くはずの電車はまだ来ない。雷雨によるダイヤの乱れは続いていた。終わったばかりのサッカー合宿の内容を携帯メールでやり取りしていると、男性のふらつく影が視界をよぎった。酔っていた。崩れるように1メートル下の線路に落ちた。ホームには二、三十人いたが動かなかった。
いつ電車のライトが迫ってくるか知れない。が、意を決して飛び降りた。男性はレールの間に倒れ動かない。上体を抱き起こす。「重い」と感じた時、乗客の一人が降りてきた。渾身(こんしん)の力でホームに押し上げた。男性は腕を骨折していた。

翌日、同県印西市の自宅で俊の話に母の真理子(50)は、「何てことしたの。非常ベルもあるじゃない」と叱った。2001年1月に起きたJR新大久保駅の事故が脳裏をかすめた。ホームから落ちた人を救おうと二人が飛び降り、輪禍の犠牲になった。俊は生まれつき耳が聞こえない。聴覚障害では最も重い2級だ。珍しく言い返した。「人が倒れているのに、ほったらかしにするのか」俊は京都府八幡市で生まれた。三人兄弟の二男。生後六か月の1981年冬、「感音性難聴」と診断された。〈音のない世界〉の宣告。絶望の中で真理子は息子を抱いて施設に通った。当時の補聴器は服の下につけても人目についた。ふびんに思い、外出する時はたまらず外した。
ある日、街で同じ障害を持つ女児を見かけた。補聴器がワンピースの上にあった。衣服のすれる音が入らないようにするためだった。「一体、私は何をしてるんだろう」自分を恥じた。「強くなろう。この子を育てていくんだ」

「お前の言葉は分からない」千葉に転居し、小学校に上がった俊に「宇宙人」というあだ名が付いた。会話に入りたくて唇の動きから言葉を追いかけても、そのスピードについて行けない。家に入る前に何度悔し涙をぬぐっただろうか。それでも、教科書をなぞって進み具合を教えてくれる友人がいた。しかし、予備校では孤独だった。受験生に自分の相手をする余裕などない。社会に出ればもっと厳しい現実がある。不安が募った。大学に入った年、それを察していた母に災害救援ボランティアの講習を勧められた。俊は思った。いろんな人に助けられて生きてきた。が、いつまでも頼っていていいのか。せめて自分の身は自分で守りたい。そして一人で生き抜く力を身につけたい。講習の合宿に参加した。人を助けたことはなかった。言葉が伝わるか、トラブルになったら――という思いが先に立ち、困っている人を見かけても動けなかった。ここを乗り越えれば自分の足で立っていける。障害者にもできるはずだ。止血法や蘇生(そせい)法を習得し「セーフティリーダー」に認定された。短い期間ではあったが自信を得た。何があっても対応できる、明日(あした)へと踏み出せる気がした。

新鎌ヶ谷駅で転落を目撃した夜、その時が来た。周囲を見回した。誰も動かない。「俺(おれ)が行く」決断した。救助の鉄則を反芻(はんすう)した。自分の安全を確保して行動に移る。線路脇に退避所があるのを確かめた。小学一年からサッカーを続け、体力には自信があった。1,2分あれば。「助けるんだ。大丈夫だ」。自分の声をはっきりと聞いた。救助から10分後に電車は来た。名前も告げずに立ち去った。「俺って、人の命を救えたよな」。確かな手応えをつかんだ。

半月後、真理子は突然、男性の妻から電話を受けた。「主人に万一のことがあれば、私たち家族は路頭に迷うところでした。何とお礼を申し上げていいか」男性の妻は事故の翌日、誰が助けてくれたのか駅に尋ねた。ポスターを張って俊を探し出した駅から、数日後に連絡があった。面倒を避け、厄災を恐れて人とかかわろうとしない時代。駅員が救助したとばかり思っていた妻は、驚いた。「事故を知らせる人はいても、まさか、そんな人がいるなんて」ただ、ただ頭が下がった。夫が治れば伺いたい。その前にどうしてもと、電話をかけたのだった。幾度も幾度も繰り返される感謝の言葉。真理子は息子をしかったことを悔いた。人の役に立ってほしいと願ってきた息子が、一人の、一家の命を救った。誇りに思った。「もし、もしも俊の耳が聞こえたら、この電話を聞かせてやりたい」 真理子は切実にそう思った。(敬称略)

京都市立春日丘中学校のHPより引用

一部抜粋にしようかと思いましたが、あまりに感動的なエピソードだったので少し長いですが、そのまま引用させていただきました。
普通の人以上に困難な道のりを歩みながら、誰よりも早く人の命を救う姿は本当に素晴らしいと思います!

伊賀崎俊の現在の活動内容

伊賀崎俊』さんは、一般社団法人レプロ東京代表理事 兼 監督として選手の育成に励みながら、外資系証券会社にバリバリお勤めのサラリーマンでもあり、休日は様々な島巡りなど旅をして過ごされている、非常にアクティブな方です☆彡

【勇気ある行動に感動 伊賀崎俊選手】

少し古い記事になりますが、デフフットサル日本代表 伊賀崎俊選手の記事になります。

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勇気のある行動に感動…

伊賀崎選手は現在、バルドラール浦安デフィオのキャプテンとしても活躍しています。

↓バルドラール浦安デフィオFacebook
https://m.facebook.com/b.u.defio?_rdr

応援宜しくお願い致します!

日本ろう者サッカー協会さんの投稿 2014年11月9日日曜日

 

伊賀崎俊についてまとめ

伊賀崎俊』さんは、読唇術を使ってコミュニケーションをしています。

また、ろう者(聴覚障害を持つ方)を相手には、手話でコミュニケーションをとっています。

聴覚障害を持っている 『伊賀崎俊』さんならではの経験と技術、視点や考え方が、仕事にもプライベートにも活かされている事が感じられました!!

今後のデフサッカー(聴覚障害の事を英語で『デフ』と言います)が発展し、オリンピックやパラリンピックのような大きく注目されるようになることを願います。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!(^^)

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